朝5時30に宿を出発してスタート地点へ。
スタートまで3時間あるので車で仮眠をとって8時前には出走表を提出。
バイクを並べに行くと、ほぼ最後尾。
おぉ😱 皆んな早いのね。
前に、300人近くいるのか。遠いなぁ。
バイクは店長の後ろに並べていたがスタートラインまで歩いて移動時には1番左手のライン
に並ぶ。これ失敗だったなかも😅
端から上がれば良いやと思っていたけど、
道路は2車線使っているので広いはずだが、
多分普段の練習の癖で皆んな左に寄りがち。
与那の前に前段まで上がりたかったが
全く甘かった。
右側のラインはどんどん上がっていってるのが見えるが左側は端まで一杯で動きが無い。
与那の登りに入り予想通りスピードが遅いライダーがポロポロ出てくるので右側ラインに入り登って上がる。
データ見ると平均280w位で登ったみたいなんで後半は300w以上で行ってたかな。
脚の調子は悪くないはずと自分に言い聞かせて
登って行くがメイン集団に合う事は無かった。。
「そして下り。」
今回のツールド沖縄はこれに尽きる
今まで出てきたロードレースは全て周回コースで群馬、那須、石川は基本的にコースが
わかっていて、下りも長くはない、
雨のレースも多かったが、下りが下手な自分でも周りと同じスピードで下り、逆に自分の方が速いかななんて事が多かったが
今回の様な本当のロードレース、ワンウェイコースの下りはスピードが遅くなってしまう。 下りで離されてその後単独で追いかけて
追いつくのを繰り返してた。
また登りに入ると周りが遅過ぎる為パスして
更に前方の集団を追いかけ追いつく、、
が下りで離される。。。
コレの繰り返し、
段々と脚は消耗していってレース中であったが、前半の1時間近くは集団で脚を溜めて走ると言うロードレースの基本的な走り方が出来ないし、正直どうすればいいんだろうと、
レース中に考えていた。
この課題をクリアしないと全く話にならないなと感じてしまった。
脚はかなり消耗していたが途中奥の登り辺りからやっと6名位の集団で走る事が出来てスピードが上がる。海岸線に出ると1名、ロッポンギさんが引いていた100名位の集団に追い付きやっとロードレースっぽく走れる。
せっかく参加したんだから後ろでプラプラするんで無く、前に入ろうとポジション上げて
ローテに入る位置に上がるが直ぐに与那の2回目の登りに入り、ローテしようとするが
登りはやはりバラける。
2回目の与那が終わって後半戦、
学校坂を越えた辺りで20名位のオーバー40のメイン集団が後ろから来て登りに入る。
ペースは速いと言うか着いて行きたくなるペース。集団最後尾を確認して少しヒラヒラと着いてペースを体感してみる。
このままカテの違う自分か付くのは失礼なのでペースを落として見送る。
15秒位遅れてオーバー40の方が1人でメインを追っている。アリかどうかは別だけど、
何となく復帰させてあげたいと思い
引きますよと声かけてメイン集団まで引き上げる。1分位かけて追い付き、頑張って下さいと声かけて見送る。。何やってんだろ俺😅
だけど来年はあの集団に自分も居たい。
脚も攣りはじめてごまかしながら登りをこなす。あぁ脚もう残ってないわと感じながら
登っていると後ろから町田さんが来て合流。
段々と登って行くのでおぉまだ脚あるのね、
俺もう脚ないっす。
何名かでローテ回しながら走るけど、
ギリギリで付いてる感じ😅
でもこの集団から切れちゃうともっと悲惨ななので耐える。段々とペースも上がって
もう我慢という言葉しか無い。
そして終盤の羽地ダムを見たときは言葉を失う程の感じ。。
勝負するにはここでアタックとかするんだよね、すげぇわ。ここまでどうやって脚を溜めながらくるかが勝負なんだろうな。
走り方が下手くそ組はもう瀕死の状態で
皆んな登って行くから地獄絵図。
脚攣ってバイク降りちゃってる人もチラホラ。最後の登りも終わって58号線に戻って
あとはゴールまで5㎞位も数名とローテして
そのままゴール。139位。
バイクから降りるともう歩けないほどの痛さ
初めての経験。。
脚が千切れそう。。ずっと痛い。。
動けない。。芝生広場に倒れ込み暫く動けない。
ヨシノリ店長も戻ってきて、来年どうするー?って聞かれたが、
今は考えられないっす。って位辛かった。
今年の沖縄はレースとしては全く話にならない結果だった。
でも足りない部分を練習するだけなので
単純な事。
ツールド沖縄まであと364日。